昭和45年6月20日 夜の御理解 №45-熊03
神様が気を長くして待っておって下さる、その神様のご期待。それにお応えする信心とは、(どういうようなことを見ておられるでしょうか?)神様が、それこそ(人を?期待を?首を?)長うして待っておって下さる。ね。その神様のご期待とは、また、それにお応え出ける信心とはと、まあ、いったようなことです。
どうでしょうか、お互い自分の胸に手をおいてみて、神様のご期待、しかも、それが首を長うして待っておってござるというような神様の実感をね、感じることが出来るだろうか。出けておるならば、それに応えなければというような姿勢が、準備されておるだろうか。
心の中に、そういう一つの躍動といったようなものが起こっておるであろうか。これは、今日は菊栄会ですから、菊栄会に対するということではありません。これは、もう、私を含めて、ね、私、大坪聡一郎に対する、神様が首を長うして待っておって下さる信心。期待しておって下さる。
私を含めて、まあ、合楽の全信奉者に対すると思うて、皆さん聞いて頂きたいと思うんですね。私、皆さんもご承知のように、大変お水を頂きます。もう、お食事が済んだら後、冷蔵庫の中に入れてあります、三号ぐらいの二本ぐらい、ここへ、夜の御祈念を仕えます時に、一本ここへ持って来て。それが御祈念が済むまでには一本、ほとんど片付いてしまうくらいに頂いておりますことは、まあ、皆さんがご承知の通りですね。ところが、今日、お食事を頂いてから、まだ、水一滴も頂いておりません。というのは、今日は神様がね、今日は止めてみよという意味のことを頂いたんですよ。
ですから、もう、止めてはおりますけれども、もう、口の中は引きつって、もう、喉の辺りはイライラジガジガしてね。もう、とてもとても、辛抱が出来んくらいに乾いております。もう、口の中に唾気がいっちょん、一滴もない。ね。それでも、神様が何かご都合のことであろうからと思うて、まあ、辛抱して、言うならばお水を頂かずにおりますがね。
今、御神前に出らせて頂いたらね、今のことのことを頂くんですよ。ね。神様がね、もう、飲みたい水も飲まずにね、それを待っておって下さるということなんですよ。そういう実感なんです。本当に神様に、ここに、その、待ち望んでござるお水を差し上げなければ相済まんという実感を持ってね、今日は皆さんに聞いて頂いておるんですよ。ね。神様が私どもに、それこそ今、もう、飲めるだろうか、頂けるだろうかと、それこそ、首を長うして待っておって下さる、期待しておって下さる。
その、待っておって下さる、期待して下さるということは、どういうようなことであろうか。自分がその期待に添うて、一歩一歩近づきよると言やあ、もう、それまでのこと。ね。それにお応え出ける信心が出来よると言やあ、もう、それまでのこと。ね。だから、それではないということを、今日は知って行かなんと思う。今、私どもが、もう、これで良いと思うとるならば、それではないということ、神様が願うておられることは。今、あなた方が願っておられる、そのことじゃないということ。
今度の十三日会に、小倉の富永さんが、いつも十三日会には遅くなる。朝、電話がかかってきた。十三日会に遅くなりますけれども、そのかわりに、午後を私に出ける御用がございましたら、取っといて下さいということであった。十三日会の共励の半ばに見えられました。で、皆さん帰った後に残られまして、繁雄さんと二人で話し合って、もう、私にもどうでもね、何もかも親先生と繋がっておかなければ、心もとない。
それで、まあ、お茶の御用は日々、久富さんがなさっておりますけれども、そのことをですね、私にも教えておって頂きたい。茶道具が、どういうものは、どこに直って、どこにあって、また、どういう風にしなければならないか。また、ちょうどお茶の稽古をはじめて、8年間になります。師範としてのお許しも頂いておることでございますから、そのお茶のことを遠してね、何かお役に立ちたい、親先生に繋がりたいという願いをもって、ここに十三の日にみえたんです。ほれで、じゃあ、ここで折々、お茶を教えて頂きたいという、美登里会の方達を中心にその話があっとりますから、来月ですか、来月の十五日頃から、それをはじめられるらしいですね。それをも、また御用にしてして頂きたいという事だった。まあ、だから、茶室も本式に自分の、もう、道具は有り余るように色々ありますから、道具を出されて。
そして、もうお茶が出ける、いつもお稽古が出けるように準備やらもされて、まあ、帰られて。そういう、言うならば願いを、ね、親先生と特に何かを持って、繋がっておらなければ心もとないという。ね。だから、そういうような程度のところまでならば、なら、今晩ここにお参りなさっておられる方達ならば、何かを持って出来ておられると思うんですよね。
特に、( )なんかは、そういうところは、まあ、言うならば十分に出来ておられるように思う。ところがです、ね、はたして、本当に神様が首を長うして待ってござるのは、そういうことであろうか。ね。だから、それが出けておるから、それに、もう応えておるといったようなことで、だから、よかろうかという事になるんですよね。
今日、ちょうど午前中、奉仕の時に久留米の野口さんがお参りをしてみえました。いわゆる、富永さんのお母さんに当たる方です。先日から、あちらの家が大変大きな家だし、もう、娘が嫁行ってしまう、息子達は嫁御もろうて別れておったけれども、まあ、そのために、息子たちは夫婦で帰って来てくれとるけれども、花嫁の一室に、まあ、別居のような状態でおりますから、あの広いところへ、まあ、本当に夫婦二人きりて。今は、あちらさんの小さいのとを預かっておりますから、おりますけれども。もう、それも十日近い内に、若松の方に行くわけです。ほれでもう、家を持て余すほどしにあるが、もう、大変痛んでおる、弱っておる。けれども、大家さんが、もう、どうでもあなた方に一生貨ってもらいたいと言うて頼まれる。
ところが最近、この漏電がしよるからと言うので、それも相当、金が掛かるという。それで、これは大家さんに言わなけきゃいけないだろうと、まあ、滅多に一年に何回か用がなからなければ会わないというぐらい、まあ、こちらが家賃を持って行かれるだけの事らしいですけどね。そういうお願いをされて、このことは大家さんい言わなきゃいくまいと思うて、思うて帰っておったら、その大家さんがひょこひょこやってみえて、他の用件でやってみましてね。
それでも、まあ、とにかく、ここで時間をちょっと待たせて下さいち言うて、そんならお上がりなさいちお茶どもあげて、その、今、お取り次ぎを頂いた・・・(A面のテープ切れ) そして先日から参りました時に、その良子、いや、富永さんが来てからお母さんたちに言うておることがです、こういうことなんです。
お母さん達もね、いつまでも、この家に借家でおるわけにはいくまい、と。だから、大家さんが、もしこの家を売りなさるごたる時にはね、お母さん、そういう時にこそお役に立ちたいから、富永に話をしてくれ、私に話をしてくれ、と言うておるということ。まあ、本当に有り難いことだと、こう言うですね。
なら、私それを聞かせて頂いとって、親子の仲のそういうこと、おかげを受けて行かれる姿というものは、本当に微笑ましいほどしに思うおかげであるけれども、なら、はたして神様はそういうことだろうか、ということ。ね。私どもがそこのところをですね、本気で一つ、いわゆる、ね、例えば富永さんの例をとるなら、十三日会の日には、ね、出けないから午後に、と。
もう、お参りが出けんからと言やあ、もうそれまでのこと。なら、十三日会だって、今までは朝早うから来りゃ、十三日会にちゃんとお参りがちゃんと出来よったじゃないか。ね。さあ、願いがありゃあ、もうそれこそ、いつでも飛んで参ってみえるじゃないか。そして、参って来りゃあ、参って来る度に、本当にお参りせにゃ出けんて言いよるじゃないか、と。ね。
いわゆる、私はおかげの確立はだんだん出けて来たけれども、信心の確立が心もとない。神様の期待というところには、一つもこう、添うて行こうともしていない。ね、 私が今日、これは私にも言い聞かせ、皆さんにも聞いてもらいたいというのはです、それこそ神様がね、それこそ、今日、私が午後、夕方からものが引きつるようにお水が頂きたいというほどしの実感を持って、私どもに期待しておって下さる、首を長うして待っておって下さる、その事とはどういうことか、と。
私は今朝から、御理解第一節の、今天地の開ける音を聞いて目を覚ませということの、もう、新しい解釈を持って、皆さんに聞いて頂きましたよね。天地の体得を悟れ、と。天地の体得。ね。神の大恩を教える、と。ね。その天地の体得を悟れた時こそ、今こそ天地の開ける音を聞いて目を覚ましたんだ、ということです。ね。そういう意味でね、甘木の初代なんかは、その天地の体得を悟ってござった。ね。
そこからの信心だから強い。だから、それによって、おかげを受けて来た人は、もう、幾千幾万あるか分からないくらいである。けれども、なら、甘木が悟られておられた天地の体得というものをです、ね、悟るというところまで行って、知ってはおる。ね。神の大恩を知ってはおる。
だから、その天地の体得を悟って、天地の大恩が分かって、その天地の大恩に報いまつるという生き方。神様の願いに応えて、言うならば、立たせてもらうという生き方、そういう信心。ね。そういう信心がです、私ども人間氏子の生き甲斐にならなければならないという御理解でしたね。だからね、天地の体得が分からずにね、神恩報謝は語られないわけです。ね。
若先生が学院在学中にお話をしておったお話が、小さいパンフレットのようなものになって出来ておったのを、たまたま、先日、事務所で見つけました。そこにありましたから、改めて見せて頂いて、まあ、先生が学院に行きます前後の自分の、まあ、心境とでも申しましょうか。信心の状態というものを、それ見よると、改めて、また感ずることが出けました。ね。
本当に、ここに神様を分からせて下さるなら。ね。私は、日本中にあるお道の、金光教の教会をね、一軒一軒行脚して、いわゆる、歩いてまわるというほどしの熱願を持っておる。ね。ところが、その、悲しいことには、神の声も、神の姿も見ることは出けなかった。おかげで、言うなら、教会行脚のすることもせんで済んだわけなんだけれど。もう、その時に、良うも良うも、神の声を聞いたり、神の姿を見らんで良かったと、私は思う。ね。そういうことを持って、神様がわかるとか、信心がわかるとか。おかげを頂いておるから、自分の信心は間違いないといったような思い方は、もう、根底からです、その、今天地の開ける音を聞いて目を覚ます。言うならば、天地の体得を悟るということは、そういうことではない、と。ね。
そういうことを持って、信心としてはならない。天地の体得が分かれば、それこそ、天地の大恩がわかる。ね。天地の体得が悟られれば、天地の大恩が分かる。天地の大恩が分かれば、神恩報謝の心というか。ね、神様の願いに応えて立たせてもらう姿勢が、自ずと出ける。それが、生き甲斐になる。ね。
そこにね、神の信用、御神徳というものが受けられるんだということ。ね。だから私は、神様が期待してござる信心とはね、今朝辺りの御理解のところを本当に理解して。ね。神の体得を、いわゆる神の体得ちゅうのは、影の神の体得ということを、御神訓の中に言うておられますね。大地の、金乃神の大徳に漏るるところはなきことぞ、というような言葉をもって、御神訓なさっておられますね。その体得なんです。
だから、大地の大徳でもあり、やはり、天地の大徳と言うてもいいです。ね。その天地の大徳に漏るることのないほどしの、その大徳をですね、私どもが本当に悟らせてもらう信心。ね。そこから、言うなら、本当の意味においての神恩報謝のことが出ける。ですから、今、富永さんの話をします、野口さんの話をしました。そういうことをね、ひとつの過程としてすることは、だから、大事なこと。
けれども、それを、こと足りておるという事であったら、これはいつまで経っても、神恩報謝ということにはならないでしょう。ね。どうでも一つですね、本当に天地の大徳が悟れるということは、ただ、腕こまねいておって悟れることはない。若先生がそのお話の中にも言うておりますように、ね、ただ、一生懸命、修行をしたり、ね、断食をしたり水をかぶったり。ね。というだけではいけない、と
本気で忠実にです、ね、教えを行の上に現して行く、それを守らせて頂くという、そういう生き方。そういう生き方の中から、これは、期せずしてね、翻然と自分の心の中に、天地の体得というものが分かる。それを、今朝の御理解を、もう一遍皆さん聞かれると、その辺のところを良う詳しゅう分かりますよ。天地の大徳を分かる。ね。そういう天地の大徳を悟らせて頂く。そういうことがです、ね、神様が首を長うして待っておって下さる。そこには、もう、揺るぎのない信心。ね。
もう、絶対、これならばお徳の頂けて行けれる信心。そういう信心にです、すんなら、その、お茶のご用も出けりゃ、ね、お母さんたちに家を買うて差し上げれるような大きなご用も出けるということにならなければならないということ。ね。これはまた、銘々の信心、また程度に応じて、神様が期待しておって下さることは、一応ではありますまい。ね。
私にかけられる神の願い。ね。菊栄会にかけられる神の願いというのは、また違いましょう。けれどもね、その神の願いという神の期待をです、私どもがそこに、本当に一つ分からせて頂こうという信心から、一つ信心を進めて。ね。それから、そこに応える信心。そこから、神の大徳を悟らせてもらうというほどしのおかげを頂いて。ね、その神恩報謝の一生が、私の一生の生き甲斐であるとしてです、ね、出けれる、これは、言うならば人間氏子の一人ひとりにね、かけられる神様の願いでございましょうけれども、それは、なかなか、縁ということが熟しないかぎり出けることではありません。ね。
先日のお月次祭の御理解に、ね、氏子、ね、信者氏子と教祖は仰るが、氏子と仰るその氏子とはね、お道の信心しておる者だけに限られておるんだといったような御理解でしたよね。だからこそ、その氏子がいつまでもぐずぐずしておる、おかげを頂ききらん。そのことが、神の悲しみだ、苦しみだ。
私どもの苦しみが、そのまま神の苦しみだという風に、私はそのことは本当に、実感してそれを本当にそうだなあ、と思いますね。これはまた別ですけれども、あの山口の踊る宗教というのがございました、もう亡くなられましたけどね。北村さよさんという、ご婦人のいわゆる教祖ですよね。踊る神様の宗祖様が、大変なやっぱ霊徳の持ち主だったらしいですね。
その方が、あちらの信心を頂く者以外のことを蛆虫だと言うておられたことを、私は、昨日はフッと思い出させてもらいましてね。その、ある人達に話させて頂きながら、本当に天地の親神様の目からご覧になりゃあね、信心を頂いておる者は氏子であろうが、信心頂いておる者はね、天地の親神様の目からご覧になれば、確かに、もう、なめくじも同様じゃなかろうかと、私は思いますね本当。
北村さよさんが言うておられたことが、何か分かるような感じがいたしました。まあ、何という、人間万物の霊長という、神の氏子という、金光教の教祖はそのように大事に扱うておられるのを、その、蛆虫なんてんいう表現。まあ、何という暴言だろうかという風に、私は思いよりましたけれどね。実際、私はそのことに、むしろ、はあ、そういう意味のことであろうと思いました。
私ども金光様の御信心を頂いておる者を持ってです、ね、神の子で氏子、と。だから、その子供が苦しんでおる、悲しんでおるのは、そのまま、神の悲しみである、苦しみであるとしておられる。親でもなからなければ、子でもない。神様があるやらないやら分からんようなものを、子供と言われるはずがない。なるほど、神の目からご覧になれば、一匹のなめくじと同じことじゃないだろうか、と私は昨日はそんな風に、まあ、ここで言やあ、またずいぶん色々な説明がいることでございますけれどもです。ね。
そのようにまで、神様は切実に、私どもに期待して下さってあるのですから。ね。そこのところの神様の願いを、私どもがね、ね、神の願いに立たせてもらう。神のそれこそ、あの、悲願という言葉が本当に適切ですね。悲しいまでの神の願いという、その願いに添うた信心をせずに、ただ、自分達のことだけに救急として、それをおかげを頂きゃ、もうおかげ頂いたように、こと足ったような思い方をしておる信心が、よし一生続いたって駄目だって。ね。
それは、多くの私どもの先輩、お道の信心を頂いて、それこそ飛ぶ鳥を落とすほどしのおかげを受けられた人達の姿というものを見てみるがよい。おかげを頂いとるだけが本当であるならば、ね、それは、もう後は、もう、( )もないごとなっておる事実が、いくらもあるではないか、と。
そうではない、天地の体得を本当に悟り、天地の大恩を知り、その天地の大恩にです、応えまつる生活、応えまつれる信心。そういう信心をです、神様に対するお応えとしなければならない。神様が気を長くして待っておって下さることは、そこに気付かせて頂くということではなかろうかという風に思うのですよね。どうぞ。